瞑想のリバイバル

 ブログ最初のテーマは「瞑想のリバイバル」を取り上げようと思います。瞑想と聞いて思い浮かべるイメージは人によって様々なのではないでしょうか。怪しげな新興宗教の儀式からスポーツ選手が試合前などに行なっているものまで、一般的には良いイメージや悪いイメージが混在していると思われます。改めてWikipediaで瞑想の定義を調べてみると、以下のような説明がなされています。

「瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。」(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/瞑想)

 これを読む限り、実際に一般的に認知されているのと同様にかなり広い意味を持つ言葉のようです。瞑想を意味する英語、“Meditation” という言葉はもともとラテン語のmeditatioに由来していて、ローマ時代のmeditatio も「精神的および身体的な訓練・練習」全般を意味していたようです。従って、本来の「瞑想」は必ずしも宗教的な文脈の中で捉えられてきた訳ではないのですね。

 しかしながら人間の歴史の中では、瞑想は各地の宗教と深く結びつき実践されてきました。その目的や方法は各宗教、宗派によって様々で一概に括れるものではないようです。瞑想という言葉の意味が曖昧に感じられるのは、このようにどの地域、国、時代、宗教かによって具体的に意味することが異なってくるからなのではないでしょうか。日本人であればお寺での座禅を思い浮かべる方も多いかもしれません。要するに「瞑想」とは目を閉じ、心を静めて神に祈ったり無心になる「行為」を指すものであり、それ以上の意味は文脈によって変わってくるもののようです。

 少し話が逸れますが、近年になり世界的に宗教離れが進行していると言われています。実際に日本ではお寺の檀家数は減少していますし、米国でも伝統的なキリスト教を信仰している人口は減少傾向にあると言われています。そうなると宗教的な文脈の中で行われてきた瞑想という行為自体も減少傾向にあるのかもしれません。現代人は裏付けが取れず、科学で説明できないことを排除しつつあることも理由にありそうです。

 このような時代の流れの中で面白い現象が近年起きつつあります。それは「瞑想を科学的に研究・分析・理解する」ということです。本来、水と油のように扱われてきた瞑想と科学の関係が変わりつつあるのです。実は昨今ブーム的に取り扱われる言葉、「マインドフルネス」も脳科学や心理学の一環として、1970年代から研究が進められてきました。その結果、この10〜20年で非常に多くの研究結果が発表されています。また既に米国では一部の精神疾患や痛みなどの治療にマインドフルネス瞑想が取り入れられ、有用な治療手段として認められつつあります。

 これが近年起きつつある「瞑想のリバイバル」の背景にある流れだと考えられます。一部のアスリート、経営者、知的プロフェッショナルの方達は既に瞑想を実生活に取り入れながら、その効果を実感されているようです。次回からのブログでは具体的な瞑想方法などを紹介させて頂ければと思います。

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